【鳥散歩】平成30年 #27『靖国神社③』

『靖國神社』①~②、それからの続き...。

『靖國神社①』へは、こちらから飛ぶべし

『靖國神社②』へは、ここをポチしてどーぞ


さてさて...、前回は、第二鳥居神門をくぐり、『靖國の桜』を右方向へ抜けた先に『遊就館』(ゆうしゅうかん)という資料館がある.....けど、ちょっとそこは後にして.....なんて話までいたしました。


参拝は先に済ませましたので大丈夫でございます。(^^♪

遊就館

その『遊就館』を右手に見ながら、参集殿と到着殿の横を進んで行くと『神池庭園』の手前あたりに...


梅林...というには少々こじんまりとしてはいますが、梅の木が数本あります。


これが実に見事な梅の木で、長い枝などもきちんと丁寧に手入れされていました。

先ほど、ここへ来るまでの間に通ってきた『能楽堂』前にある『靖國の桜』エリアもそうですが、今回訪れた10月初めでは、どちらも葉っぱしかなくてですね、花を咲かせている風景は妄想.....あ、いえ....想像するしかありません。

.....春にはきっと、とても美しい風景に包まれるのでしょうね。


さらに進むと『神池庭園』に通じていきます。


水鳥、いるかなぁ...と期待して行ったのですが、残念ながら池のほとりでまったりと寛ぐ数人の人間と呼ばれる生き物以外は、どなたさまもいらっしゃいませんでした。(*´ω`)

このときは、ちょうど池の水面に浮かんだ落ち葉などを片付ける清掃が行われていましたので、そのせいもあったかもしれませんが....。

でも、ここって、普段、鳥さん...いるのかなぁ...(・_・)?




では、『遊就館』の前まで戻ります。


この時点で、時刻が午後3時頃になってしまいました。

資料館は、時間にもっと余裕があるときにゆっくり見て回りたいので、今回は写真撮影が許されている玄関ホールにだけ入ることにいたします。

ここ、東京都内なので、お仕事をなさっている方々の帰宅ラッシュを避けて地元まで戻りたいですからねぇ.....。(^^ゞ


玄関ホールのフロアにはおみやげなどを買える売店喫茶室がありますので、ここまでは無料で入ることができます。


まず視界に飛び込んできたのは、やっぱりこの零式艦上戦闘機。

52型

『零式艦上戦闘機』とは、大東亜戦争期(第二次世界大戦)、日本海軍航空母艦....いわゆる、通称『空母』と呼ばれる軍艦から発艦していた艦上戦闘機です。

『航空母艦』は、海上において、その艦上から戦闘機が発着艦できるように、飛行甲板というものが設けられた水上艦船のことで、わかりやすく言うと、移動と戦闘機の運搬が可能な海上航空基地といったところでしょうか。

現在の日本では、日本国憲法で定められている

『専守防衛と戦力の不保持』により、他国に向けた航空兵力に展開する可能性のある航空母艦は保有することが許されていない。

.....とかなんとか言う『縛り』からですね、航空母艦と名の付く戦闘機搭載タイプの水上艦船を持つことができませんので、今回は参考までに日本の海上自衛隊が保有する『ヘリコプター搭載護衛艦』であるこちらをどうぞ。

出典:ウィキペディア『いずも(護衛艦)』
By Kaijō Jieitai (海上自衛隊 / Japan Maritime Self-Defense Force) -
http://www.mod.go.jp/msdf/formal/jmp/201612.html,

ん?...これ『航空母艦』じゃないの?.....なんて思われる方も多いでしょうが、これはあくまでも名称の上では『護衛艦』であります。(`・ω・´)ゞ キリッ

ちなみにアメリカ合衆国海軍が保有する『航空母艦』はこちら

ニミッツ級航空母艦
『ハリー・S・トルーマン』

『護衛艦いずも』の満載排水量は26000トン、それに対して『ハリー・S・トルーマン』の満載排水量は103877トンにもなります。

当たり前だけど、圧倒的に米海軍の方が大きいですよね。(@_@)




さて、話を戻して...

『零式艦上戦闘機』....通称では、『ゼロ戦』または『れい戦』などと呼ばれることが多いのですが、正式名称には『零式....』と漢字を使っています。

なので、これを『ゼロ』というのはどうなんですか?ねぇ?....と、ちまちまと細かいことに疑問に思っていましたが、これ...どっちでもいいんですって。

そうは言いましても、わたくし個人といたしましては『零(れい)式』の方がやっぱりしっくりとくるなぁ...。(^^♪

だって、『ゼロ』はもともと日本語じゃないし....。


ところで、なぜ『零式』という名前なのかというと、当時の日本の軍用機の名前には、開発して新しく使われることになった年の皇紀下2ケタを使用するという規定があったのだそうです。

つまりは、正式に海軍へ採用された年が昭和15年(1940)ですから、この年を皇紀で見ると2600年でございますので、下2ケタを取って『00式』→『零式』となったわけですね。


このとき、連合軍が『零式』に付けたコードネームは『Zeke』(ジーク)。

でも、敵パイロットたちは『Zero Fighter』(ゼロファイター)とか『Zero』(ゼロ)などと呼んでいました。

あ....ちなみに、ねぇねぇ、皇紀とはなんぞ?.....という方のために説明いたしますと、正式名称を『神武天皇即位紀元』(じんむてんのうそくいきげん)と言いまして、『日本書紀』の記述を元に、日本の初代天皇『神武天皇』が即位されたとされる年『紀元前660年』を元年とした日本だけの紀年法です。

皇紀を見るときは、西暦に660年を足せばいいので、今年(西暦2018年)でしたら皇紀2678年ということになります。


『零式艦上戦闘機』は、速さ、上昇スピード、そして長い航続距離という条件を満たすため、機体に関して、使用されるネジの1本に至るまで、無茶苦茶すぎるほどの軽量化にこだわりました。

その結果、優れた旋回性能と、2200kmにも及ぶ長大な航続距離、そして最高速度500km/h という、空戦で圧倒的な強さを発揮する戦闘機となったのです。

まぁ...、最長航続距離についてはですね、車のカタログ等に書かれているような燃費表示と同じで、燃料の消費効率が最も良い状態『巡航速度』で航行した場合の数値でございますので

急旋回をぎゅんぎゅん繰り返しながら 500km/hの速度を保持したまま2200km飛び続ける....ってことではありませんよ。(^^ゞ

そして、さらには、7.7mm機銃2挺20mm機関砲2門強力武装もくっついてました。

20mm機関砲
使用弾丸は、装甲に穴をあける『徹甲弾』発光体内蔵の『曳光弾』着弾の衝撃で爆発する『炸裂弾』がある。

それでも大戦後半に入る頃には、一部の『零式』機体が鹵獲(ろかく)....つまり敵側にぶんどられたことによって、さすがに仕組みを解析され、対策を取られてしまいましてね、それならば日本側も、さらなる開発を....と言いたいところなのですが、これが大幅に遅れを取ってしまった...。

その結果、『零式』は敵に対して徐々に劣勢となっていくわけですが、それでもこの時代に、一時期でも敵パイロットに、とんでもなく厄介な奴だと思わせるほどの、こんな名機を作り上げた人々って、本当にすごかったんだなぁ....とつくづく思うわけであります。


ただ....世界のどの戦闘機よりも、ぶっちぎりに抜きん出たスペックを持つ名機、『零式』を生み出すために、徹底した軽量化を行い、使用する素材をも極力減らしましたので...防御性能に関しては....残念なほど低かったんです。

ゆえに、今現在に至っても

『零戦は、パイロットの命より性能を重視した、人命軽視の戦闘機

...そんな風に言われることがあります。

でも....日本人の戦闘機乗りが、無限にいたわけではありませんし、戦闘機乗りを育成するのだって時間がかかります。

そのときその一戦だけ勝利できるなら、たとえその『零式』に優秀なパイロットが搭乗していたとしても、そんなことはどうでもいいなんて....当時の軍幹部は本当に考えていたでしょうか。

いらすとや

空戦というのは、いわば空においての格闘戦です。

機体を軽量化することで運動性能を向上させ、素早く敵の攻撃をかわし、そして素早く敵機の背後を取る.....。

もし....それが実現できたなら、操縦士を生き延びさせることができ、また戦闘機が損傷を免れる率だって高くなる...。

資源が少ない国を生きてきた日本人だったら、そんな風に考えたっておかしくはなかったんじゃないかな....なんて....ま、これはわたくし個人の想像ですが...。

ふぅむ.....やっぱり、『零戦』=『特攻』ってイメージが強すぎるのかな...。(-_-)

操縦席




この先は『靖國神社④』へ続きます。

『靖國神社④』は、ここからどぞ。

ほんじゃ、今回はここまで。 (=゚ω゚)ノまたなっ!!

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